鎌倉検定1級 井苅禎氏が案内する

歴史散策 鎌倉殿の13人

北条義時の時代を訪ねて歩く

予告編 2021年10月開催!

世の中は つねにもがもな なぎさこぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
    鎌倉右大臣(実朝)

来年から始まるNHK大河ドラマ 鎌倉殿の13人

来年のNHK大河ドラマは、野心とは無縁だった若者・北条義時が次第に頭角を現し、やがてライバルの御家人たちを倒して武士の頂点に上り詰めるまでを描いた「鎌倉殿の13人」。小栗旬が主役・北条義時を演じます。

鎌倉殿の13人のキャスト一覧

今回は放映に先立ち、義時が生きた時代の鎌倉を訪ねて歩きます。 案内人は、鎌倉検定1級の井苅禎氏。

散策コース

おおむね鎌倉駅周辺を歩きます。
三代将軍実朝が甥の公暁に暗殺された鶴岡八幡宮、暗殺後に公暁が実朝の首を持って駆け込んだ幕府大倉御所跡など、壮絶な歴史の跡を訪ねて歩きます。市街地だけでなく、秋の訪れを肌で感じる源氏山公園へのハイキングコースも予定しています。

開催は複数回

通常のイベントは参加枠が少ないため、参加いただけない方も多くいらっしゃいました。今回は希望される方がなるべく多く参加いただけるように、複数回に分けて散策を実施します。希望者数を把握するため、イベントを立てる前にアンケート(仮予約?)などの仕組みを用意しますので、参加を希望される方はご協力をお願いします。

参加費

資料代、講師料として、一人500円程度を予定しています。これ以外に昼食代、場合によってはカフェ代が必要になります。

時代背景

平安時代、武士は貴族の用心棒的な存在で、身分も低いものでした。そんな中、初めて武士の実力を認めさせ、武家政権を樹立したのが平清盛です。ただ、多くの歴史書で清盛は悪人として描かれているようです。

源頼朝の鎌倉幕府が成立したのは、かつては1192年(いい国=1192 作ろう鎌倉幕府)と教えられてきましたが、最近では1185年(いいハコ)とされています。1185年は鎌倉幕府の統治機構が完成した年であり、1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年で、近年は前者が採用されるようになったということです(注1)。

頼朝が不慮の事故で亡くなった後、長男の頼家が第二代将軍になりましたが、頼家の振舞いが悪かったこともあって実際の政治は13人の御家人たちの手に委ねられました。この中には、三谷幸喜・作・演出の2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主役で、小栗旬が演じる北条義時も含まれています。ちなみに義時は北条政子の弟に当ります。

西暦1200年、頼朝の側近として辣腕を振るった梶原景時は、頼朝の死後、告げ口などその汚れ役が災いして御家人たちの反感を買い、鎌倉から追放されたあげく一族皆殺しにされます(梶原景時の変)。

その3年後、頼朝の乳母の血縁として頼朝の信頼が厚かった御家人比企能員(ひきよしかず)は、北条時政(義時の父)のだまし討ちに逢い、やはり一族皆殺しにされます(比企能員の変)。

翌年、2代将軍頼家が暗殺され、その弟の実朝が3代将軍になると、時政は後妻牧の方の讒言を受けて人望の厚かった御家人畠山重忠を謀殺します(畠山重忠の乱)。重忠が謀反など起こすはずはないと信じていた義時は、父と対立するようになり、やがて義時は時政を伊豆国に追放し、実権を握ります。

このころから義時は執権と呼ばれるようになり、次第に独裁的な政治を行うようになります。有力御家人たちを攻撃し、やがて幕府創設以来の重鎮で侍所別当(警察庁長官兼軍司令官)の地位にあった和田義盛を滅ぼします(和田合戦)。ちなみに当時和田義盛の邸宅は鶴岡八幡宮の前、若宮大路の西側にあり、義時の邸宅は現宝戒寺にありました。ものすごく至近距離での合戦ですね。

1219年、鶴岡八幡宮で実朝が頼家の子・公卿(くぎょう)に暗殺されます。義時は太刀持ちとして随行する予定でしたが、体調不良で他人に代わってもらい、難を逃れます。その不自然さから、実朝暗殺の影の張本人という説も出てきました。

1221年、政治を天皇の手に戻すべく着々と軍備を進めていた後鳥羽上皇が、義時追討の宣旨を発布します。義時は生涯最大の危機に直面しますが、積極的に反撃して京に攻め上り、この戦いに完勝します。後鳥羽上皇は罪を部下に押しつけようとしましたが、結局隠岐島に流されます(承久の乱)。

吾妻鑑は、鎌倉時代の主に前半のできごとを記した著名な歴史書で、徳川家康も幕府運営の参考にしたと言われています。

(注1)鎌倉幕府が成立した年については、他にも諸説あります。